知りたくなる 判りたくなる

辻堂東海岸の歩道橋から最初にシャッターを切ったのは6年振りの海だった。それが『癒しの一日乗車券』のはじまりだった。
最初の1年は、たったの3ケ所だった。次の年は、9ケ所だった。その次の年は3つ少ない6ケ所だった。

2003年5月24日。馬堀海岸は、今年でもう12回目、通算30ケ所目の海だ。毎年、海へ出かける回数が何故か3の倍数なのは単なる偶然のはずだ。

この宛て処ない旅をするようになったのは、海岸に直接隣接している、ある臨海公園を探すため。他愛もない理由だった。
馬堀海岸の写真
馬堀海岸の写真
馬堀海岸の写真
馬堀海岸の写真
それは行き場所が決まった旅であり、求めた場所なのかどうか判らない旅でもあった。本当にあるのかどうかわからない不確かなものを探しに、僕は歩き続けてた。

「癒しの...」というタイトルを付けてはいるものの、自分自身「癒し」が何なのか判らないし、癒されたいから海へ行くわけでもない(と思う)。癒されるかどうかなど、本当はどうでもいい。「好き」だから海に来る。それで十分と思う。ただ、癒しという言葉は温泉じゃない。元気一杯でも、好きな海には行くものだ。そう感じたから。「好き」っていうことと関係があると思うから。好きになると知りたくなる。判りたくなる。

「でも、こんなことやってたらライフワークになっちまうゾ・・・」
釣りスポットとしては外せないという声の高い馬堀海岸のテトラポッドの上で、釣り糸の行方を眺めながら、僕は胸の中で独り言を発した。・・・うん、ライフワークになっても別に悪くはない。ライフワークと呼べるものの一つや二つくらい持っていてもいいし。海に対してそう言えるくらいの「好き」が自分の中にあることを知っているというだけでも、3年以上続けてきたこの散策に意味があったというものだ。

国道16号線の切れ目に近いところから大津港まで続いているウォールペイントを一つ一つ見ながら歩く。この海岸に思いを寄せる人たち。釣りこそすれど、決して泳ぐことのない海岸を愛するのは何故なのだろう?
それは、泳ぎもしないのに海へやってくる自分への問いでもあるように思った。
馬堀海岸の写真
馬堀海岸の写真
馬堀海岸の写真
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